"HISTORY"

AIR MAXのヒストリーと太平洋戦争のヒストリー。
AIR MAXが佇んでいる場所は、日本に関する太平洋戦争の戦跡である。

真珠湾(ハワイ) AIR MAX 1

真珠湾(ハワイ)
Pearl Harbor(Hawaii)

1941年12月8日未明に日本海軍が真珠湾のアメリカ海軍基地を奇襲攻撃した。 写真後方に浮かぶ白い建造物は、真珠湾攻撃の際に撃沈された戦艦アリゾナの真上に浮かぶアリゾナ記念館。 その左に停泊している戦艦ミズーリの艦上で日本の降伏文書調印式が行われた。

AIR MAX 1
1987

1987年に登場した初代AIR MAXはビジブルエアと呼ばれる機構が特徴で、スニーカーのミッドソールにエアバックを見ることができる窓が搭載されたモデル。 この窓は負荷が懸かり変形したエアバックの逃げ道としての役割もあり、機能とデザインを両立した名作。

憲兵隊東支部(シンガポール) AIR MAX 90

憲兵隊東支部(シンガポール)
Kenpeitai East District Branch(Singapore)

かつてここにあった旧YMCAビルに憲兵隊東支部が置かれた。 憲兵隊による「粛正」行動のなか、抗日運動の嫌疑を受けた大勢の華人が生命を落とした。 抗日容疑者たちは取り調べを受け、その悲鳴がビル周辺の静寂を破ることもしばしばあったという。

AIR MAX 90
1990

90年代に流行したビビッドな配色で登場した三代目のAIR MAXは、ストリートファッションに照準を合わせた、今でも人気の高い名作。 機能面では前作のAIR MAX LIGHT(1989)より更にエアの容量が拡大されたことで大幅にクッション性が向上している。

大久野島(広島県) AIR MAX BW

大久野島(広島県)
Okuno-shima(Hiroshima)

大久野島は広島県竹原市忠海町の沖合い3kmに位置する島で、1927年に島全体が毒ガス製造を目的として陸軍の管理下となった。 1929年には,東京第二陸軍造兵廠火工敞忠海兵器製造所による毒ガスの製造が始まり、1945年まで続けられていた。

AIR MAX BW
1991

AIR MAX 4として誕生し、ストリートファッションとの相性の良さからファッションアイテムとして認知された名作。 機能性においてもAIR MAX 90から改良し、拡大されたビジブルエアを採用。 またフィッティング性をコントロールできるシューホールガードを搭載。

アサンビーチ(グアム) AIR 180

アサンビーチ(グアム)
Asan Beach(Guam)

1944年7月21日、アメリカ軍のグアム奪還作戦が開始された。 この海岸線から何千もの米海兵隊員が上陸用舟艇で上陸を目指し進撃した際、砲弾の炸裂によって海水は沸騰する湯水のようになった。 激戦の末、アメリカ軍は上陸に成功した。

AIR 180
1991

AIR FORCE 1を開発したブルース・ギルゴアとAIR JORDANシリーズを手掛けるティンカー・ハットフィールドによる共同開発モデル。 エアの容量を大きく取り、180度の角度で露出できるビジブルエアソールを初搭載したことが話題となった。

言問橋(東京) AIR MAX 93

言問橋(東京)
Kototoi bridge(Tokyo)

1945年3月10日未明の東京大空襲の際、浅草方面から向島方面へ避難しようとする人々と、その反対側に渡ろうとする人びとが橋上で交叉し、身動きがとれない状態となった。 そこへ火が燃え移り、橋上はたちまち大火炎に包まれ、多くの市民が焼死した。

AIR MAX 93
1993

前作からエアの容量を増やし、270度の角度で露出できるビジブルエアを採用。更にはアッパーに新たな機能として開発されたハラチフィットシステムを採用。 これはメキシコの伝統的な履物「ハラッチ」からインスパイアされたシステムである。

安里52高地(沖縄) AIR MAX 95

安里52高地(沖縄)
Asato 52 High Ground(Okinawa)

安里52高地は1945年5月12日から18日まで繰り広げられた沖縄戦の激戦地。 安里の北に位置する丘陵地帯に築かれた日本軍の陣地の一つで、米軍は 「シュガーローフ」と呼んだ。 米第6海兵師団と激しい攻防戦が展開され、日米両軍とも多くの戦死者を出した。

AIR MAX 95
1995

プレミア価格で取引され、更にはエアマックス狩りなど、社会現象を引き起こすほどの人気を博した。 デザイナーのセルジオ・ロザーノ氏は人体をデザインモチーフとし、アッパーのラインは筋肉を、甲のメッシュ素材は皮膚を、アウトソールは背骨を表現している。

十五銀行 福岡支店(福岡) AIR MAX 97

十五銀行 福岡支店(福岡)
  jyugo bank Fukuoka Branch(Fukuoka)

1945年6月19日の福岡大空襲の際、避難場所に指定されていた旧十五銀行福岡支店(現在の博多座の立地)の地下室で、避難した人が停電による電動式扉の不作動で地下室に閉じ込められて焼けるなどし、女性や子供を含む63人が亡くなった。

AIR MAX 97
1997

アッパーにはメタリックシルバーの近未来的な曲線があしらわれ、AIR MAX 95以来となる爆発的なヒットを記録。 この近未来的なシルエットは日本の新幹線からインスピレーションを得ていたという。 フルレングスのビジブルエアを初搭載した完成度の高いモデル。

筑波海軍航空隊滑走路(茨城) AIR MAX 2003

筑波海軍航空隊滑走路(茨城)
Tsukuba Navy Air Force Runway(Ibaraki)

筑波海軍航空隊は戦闘機の教育部隊であり、1938年に編成され、終戦までの間に1500人以上が操縦訓練を受けた。 1945年には「神風特攻隊筑波隊」が発足。学徒出陣による学生ら約70名が特攻によって亡くなった。 滑走路は現在も道路として残っている。

AIR MAX 2003
2003

セルジオ・ロザーノ氏が過去のデザインとは対照的にシンプルを追求したモデル。 アッパーは陸上競技用スパイクと同等の素材を用いて軽量化させている。 タンやヒールに筆記体を用いて「air max」と入っているのは、スタイリッシュなこのモデルならでは。

原子爆弾爆心地(広島) AIR MAX 360

原子爆弾爆心地(広島)
Atomic Bomb Hypocenter(Hiroshima)

1945年8月6日午前8時15分、米軍機B-29「エノラ・ゲイ号」によって人類史上最初に使用された原子爆弾は、この場所の上空約580メートルで炸裂した。 約3000度〜4000度の熱線と爆風や放射線を受け、ほとんどの人々が瞬時にその生命を奪われた。

AIR MAX 360
2006

ミッドソールにポリウレタンなどのフォーム素材を使用せずにナイキエアのみでミッドソールが構成され、本当の意味での360度フルビジブルエア化を達成。 アッパーのデザインソースとして、AIR MAX 1をベースに歴代AIRMAXのディティールが取り入れられている。

巣鴨プリズン(東京) AIR MAX 2017

巣鴨プリズン(東京)
Sugamo Prison(Tokyo)

現在、葛飾区小菅にある東京拘置所が1971年までこの場所(豊島区池袋)にあり、戦後GHQにより接収され「スガモプリズン」と呼ばれていた。 巣鴨プリズンには極東軍事裁判で断罪されたA級戦犯やB・C戦犯が収容された。 東条英機元首相らの死刑も執行された。

AIR MAX 2017
2017

アッパーにはFlymesh素材を使用し、縫い目を排して一体化することで通気性とサポートを強化している。 フルレングスのMAX Airユニットを搭載し、優れたクッショニングを実現。 AIR MAXシリーズ 30周年の進化を感じさせるモデル。


Copyright 2014-20 © TAKUO ITAYAMA, All Right Reserved.